独り言

その他もろもろ

憧れ

憧れた人、とかいうのは今までの人生においていただろうか。

一応絵を描くタイプの人間なので「こういう絵が描きたい」という対象はいたがそれはあくまで「絵」に対する憧れだ。「人」に対して「こうなりたい」なんて思ったことはあっただろうか。

 

思い返す限り、ない。

 

私は客観的な自分とは別に自己肯定感は高いので自分のことをまともで頭のいい最高な人間だと思って生きてきた節がある。末っ子なので容量は良く、甘やかされてきたことも要因だろう。

大体の同年代とは話が通じない。みんなオタクではないし選挙にはいかないしコロナワクチンも打とうとしない。化粧とバイトは頑張るけど授業は寝るし課題はギリギリだし先生の話は聞いていない。そして何よりTwitterをやってない。

それがダメ、って話ではなくそもそも共通点が極端に少ないので私は生きてきた中で身近な年代の人に憧れるなんてことをしたことがなかった。対象じゃなかった。

 

だから、今の感じは、自分でも気持ち悪いな、と思う。

 

その人の真似をして花を買ってみたり、料理を頑張ってみたり、お洒落な写真を取ろうとしてみたり、ジムに通ってみようとしてみたり。

その人の作り出す言葉みたいに自分も言葉を作りたくて、こうしてブログを書いている。

気持ち悪いな〜〜。

 

その対象が、アイドルでもなんでもない、一般の人だから、余計に。

でもその人は私なんかと違って自分の心を見つめることを知っていて、自分について考えているからSNSからだけでもその人がどんな人でどんな気持ちでどんな風に暮らしているのかなんとなくわかってしまうんだ。想像がついて、自分も同じように、生きてみたいなって思ってしまう。

 

私はあの人が今のようにいろんな人にみられる前からあの人のことを知っていた。誰からの目も気にしないでとっても自由に言葉を発していた頃から、あの人のことを知っていた。とても素敵な文だと、すぐに思ったのに天邪鬼で気持ち悪い私はフォローなんてできずにただ毎日その人の発している文を見守るばかりだった。

 

そうしているうちに、あっという間にいろんな人が彼女を見つけて彼女はみんなの人気者になっていった。

「あの時、もしかしたら、万が一にも繋がれていたのかな」と思う時はある。でも彼女は面白くて最高なので、見つかっちゃうに決まってた。しょうがない。

 

あの人は英語を勉強している。大学で英米文学を専攻しているらしい。TOEICはスコア900だ。

 

あの人は素敵な友人がたくさんいる。誕生日には自分の写真集を送ってくれる友人がいるらしい。

 

あの人は彼氏がいる。進撃の巨人の感想が「よくわからないガハハ」とかカンスルギの美しさについて延々と語り合えるような。

 

あの人は美味しそうな写真や美しい風景を撮る。頭の中を整理し、理路整然とした文も書ける。かと思いきや意味のわからない気の狂ったオタク構文も書ける。

 

あの人は体重が45kgらしい。ジムにもいっていて、自己管理をちゃんとできる。おしゃれでもある。

 

しかも、とっても美しい。

 

 

 

私は授業を聞くのをサボってこうしてブログ書いてるのにね。

 

不思議なもので、こうして文の形にして初めて私は彼女のことがこんなにも大好きで、憧れていると気づくのだ。自分に逃避して彼女に近づこうと足掻いていることに気づくのだ。

 

憧れとは、こういう醜いものなのだろうか。気付きたくなかったなあ。

はは