独り言

その他もろもろ

21.3.14

 

昨今、スマートフォンが流通してSNS気軽に自分の思うことをより伝えやすくなった。

そうして発展していく中で、私の様な一介のオタクでしかない人間も立派にツイッター廃人となり今日も元気にタイムラインを徘徊している。

そう言ったオタク界隈にはそれぞれの世界で、一般人のいわゆる3桁、4桁、5桁の「大手」と称されるツイッタラーさんがいる。

SNSでは多くの場合「いいね」と言われる一般的に考えれば共感や面白いということの意地表示をするための機能を持っている。リプやDMなど直接本人に気持ちを伝える機能もある。「大手」さんたちはこれらをより多くもらい、多くの人から面白いと思われている様な、あるいは興味深いと思われているからフォロワーが多くなる。

 実際問題彼女彼らのツイートは本当に面白い。嫉妬せずにはいられない。どうしてこんな事が考えつくんだろう。

今現在私のフォロワー数は「15」なわけで、彼女彼らにすれば羽虫にも満たないってもんである。ある時ぱっと私のツイッターが見られたら「ああ、この人はフォロワーが少ないんだな」で終わりだ。(それでも15人とはクラスの三分の一はあるわけで、冷静に考えるとすごい。私のリアルの友達は15人もいない。ありがとうございます)

フォロワーが多くていいねが多かったら嬉しいのかと言われると、そりゃあ嬉しいと思う。あなた、面白いねって思われたい。

私が面白いと思ったツイートはいいねがつかないし、「ね、そうじゃない??」と思ったツイートが誰にも見られていないわけで、それに関して虚しさがないのは嘘だ。

だけどそれ以上にフォローしている人にフォローされたら嬉しいと思う。相互が欲しいのだ。多分フォロワー数が多ければなあ、と思うのはその方がその人たちに興味を持ってもらえるチャンスが多くなるからなのだ。アホみたいな考え方だなあ、とは思うが私がこの人の考えることはなんて面白いんだ、と好きになってしまった人に私を好きになって欲しい。友達になりたい。(今、相互でいてくださってるかた、ありがとうございます。)

誰か私のことを見てくれないか、と思ってしまう。

どうしようもなく強欲だ。SNSとは、こういう人間臭すぎて腐っている様な心情が否応なしに飛び出してくるから心底恐ろしいものである。

 

もしかしたら私のツイッターは一生誰の目にも止まることなく朽ち果てていくのかもしれない。私は面白くないやつで終わっていくのかもしれない。好きな人が私を好きになってくれることはないのかもしれない。

それでも、そういうこととは別に自分の考えとか、文を一つにまとめていく事は決して無駄なことではない。だから(できればたくさんの人にそれを面白いと思ってもらいたいけど)例え誰にも見てもらえないとしても私はこの行為を続けたい。虚無な気持ちになったって、それでも続けたい。

 

あ〜あ、明日起きたらフォロワー1000人になってねえかな〜。