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自分の人生が辛いものであったことを認めるのは簡単なことではない。つい最近まで私は自分の人生を“ごく普通”だと思っていた。口では「ヤバいよね」などと宣いながらも心のなかでは普通であることを疑っていなかった。

 


8歳で両親が離婚し、家には母と兄と私になった。

 


10歳で父が再婚し、「別の家の人」になった感覚を覚えた。

 


思春期に突入し、盲目な母からのプレッシャーと理解してくれない周囲から逃げる兄に簡単なことで暴力を受けた。

 


世間を騒がせる兄を病的に愛し、かかりっきりの母は娘には殆ど関心が無かった。中学生の時、初めて学年で4位になった成績表を見せても「本当なの?ふーん」で終わりだった。

 


月一の父の面会も、正直、慰めになるとは言いがたいものだった。父も兄も何が楽しいのか分からず、気まずく、誰のために会っているのかよく分からない面会だった。

 


小学校ではちょっとしたいじめを受けた。学童の帰りのグループで間違った位置に並んだのが気に食わなかったとか、みんなの憧れの男の子と仲良く喋ったとか、髪の毛をとかしていないとか、些細なことだ。

 

 

 

中学生の時には部活で不必要なストレスを受けた。一年生の時の顧問は死ぬほど厳しく何度も鬼のように怒られたし、二年生になって顧問が変われば同学年のチームメイトが練習をサボった。女子の揉め事に巻き込まれたりもした。

 


母方の祖父が小学生から同居していたが、母との仲はよろしくなく家でも権力は無いに等しかった。毎日母の言うことに従うことしか出来なかったであろう。私も思春期でありつっけんどんな態度ばかり取っていた。

 


(二十歳もすぎた今、思えばあの頃祖母を亡くして孤独だった祖父にはとても申し訳なく(小学生中学生だった私がそんなことわかるはずなくとも)もっとじじ孝行したかったなと思う。ごめんね、じいちゃん。)

 


文にしてみると改めて「しんどい人生」だと思う。自分で自分をいじめているわけじゃないから余計に。むしろそれを意に介さず(良くも悪くも)自分の努力一つで自分の人生を歩んできた私を私は誇りに思う。

 


でも私はこの人生を“普通”だと思わざるを得なかった。

 


保育園の卒園式のDVDを見た自分への衝撃は今でも思い出せる。幼少期の、6歳の自分があまりにも屈託なく笑い、騒ぐ、年相応の女の子がとても可愛かったからだ。自分ではずっと「なんであんなものを着たんだ」と後悔をしていた、黒歴史だと思っていたピンクのドレスがとても似合っていたからだ。


私はとても子供だったんだと、そう気づいた。もっと可愛くない、格好つけた子供と思っていた。両親が離婚したのなんてそれからたった2年後のことだった。

 


思い出す。

 


両親が離婚し兄と母によって家では嵐のような日々を送り学校でも碌な目にあっていなかった小学生の頃。周囲や大人を見て考えるようになった。適当に大人っぽいことを言った。その頃から「大人びている」と盛んに言われるようになった。

 


元の性格もある。元からビビりでルールは破らないし、末っ子だから周囲も見る。でもあの頃、特に「大人っぽく」あろうとしたのは事実だ。

 


そうして同年代を馬鹿にして、無駄に老成して、若者でいるタイミングが分からなくなった。自分は大人であると言われたし、大人であろうとした。

 

自分の人生は普通だし、これはしょうがないことなのだと。


自分に関心を持たなかった母や暴力を振るい自分勝手に生きて私を悩ませた兄がいるのはどうしようもないと。


一般家庭に育ち母と父が好きだと屈託なく笑えないのは、どうしようもないと。


幼なじみや知り合いの親に家族構成について憐れまれ、見下されるのはしょうがないと。


父が今、いいパートナーを見つけて、いい家庭を築いているのはしょうがないのだと。


私が今でも母に悩まされ、兄を好きになれないのはしょうがないのだと。


そう思うしかなかったのだろう。9歳や15歳の子供には。そうして納得して大人になるしかなかった。


そうしなきゃ心が壊れていた。

 

私は本当はずっと父を憎みたかったのかもしれない。家に居なくなって、いいパートナーを見つけ、子供を可愛がっている父を。でも憎みたくなくて自分に嘘をついていたのかもしれない。

 

私は大人なのではなく、子供になれない子供だったのだ。


父には父の人生があり、父は自分の人生のために母と離婚した。父は合理的だ。私はその選択を間違ったものだとは思わない。私でも父の立場だったら父の今のパートナーを選ぶし離婚するし母を憎むだろう。


父はよく母の話題になると「ごめん」とも言う。謝ってくれる父であることを嬉しく思う。今でも、気負わず母の愚痴を聞いてくれることを嬉しく思う。そうできない子供も世の中には大勢いるだろう。


父はパートナーに出会ってから変わった。よく話せるようになったし一緒にいて楽しくなった。面会が何よりの楽しみになった。私は父が好きだと胸を張って言える。何より父のパートナーは私が唯一、どこまでも心を開けるような信頼できる大人でもある。出会ってくれたことに感謝こそすれ恨んだことなどない。


だが私が今の父と父のパートナーとの間に生まれた弟を羨ましく思わないと言ったら嘘になるのだ。思っていないと思っていた。でも、嘘になる。気づいた。


もちろん弟には弟なりに親に関して今までもこれからも苦労があるし、人と苦労比べをしていいことなど一つもない。


それでも話を聞いてくれる母を持ち、父が家にいる弟は、私は少なからず、羨ましかった。私は今までもこれからもそれを得られることがない。子供は親を選べないからだ。


もしかしたら一人っ子が嫌いな癖に一人っ子ばかり友達なのは、コンプレックスの現れなのではないかと今になって思う。


羨望だ。


我儘で、乱暴で、適当で、話を聞いてくれる存在があるあの人達が、何処かで少し羨ましいんだと、そう思う。


同年代の会話のレベルの低さやよく分からないノリだって、高い美意識だって、ずっと馬鹿にし続けてきた癖に本当はほんのちょっぴり羨ましかったのかもしれない。

 


性格もあるけど、それにしたって早くに捨てすぎたんじゃないかなと最近思う。

 


30代になって、早くこのコンプレックスから解放されたいものである。