独り言

その他もろもろ

相談

人を信用して、全てを吐き出すということほど私にとって難しいことはない。

なぜならば、それができる環境下に育ってこなかったからだ。

 


両親は8歳の時に離婚して、父とは月に一回の面会でしか会う機会がなかった。その父は当時はかなり、いやかなり感情の起伏が激しく、いい父だったが父の前では一挙一投足、気を抜けなかった。怒鳴りつけられると怖かった。相談をしようとは、とても思えなかった。

 


母は、苦手だし、理解ができない。私とは違う世界線で、全く違う価値観を持っている。それに気づいたのは実は結構最近なのだが、話をできる人間ではない。例えるなら宇宙人だ。言語が通じない。私が話をして、話したい話はできない。逆に彼女の話に私の返答は決定的に合わない。

 


兄なんて論外だ。4つも歳が上のくせに、私よりもずっと子供だった。今だって怪しいもんだ。

 


家族の中に頼って話をできる存在がいない子供は、話をすることが下手になる。今、身を持ってそれを感じている。

 


私は自分の感情について考えることは多い。それは他の人に話して感情を整理するとか、そういう場がないせいで自分で自分と会話するしかなかったからだ。だから、考えるまではできる、できるが、それで得た気持ちを人に伝えることが苦手だ。伝えようとしても実際の考えをきちんと伝えられている感覚がない。文章にしたときはまだマシだけど、話し言葉となると悲惨だ。スペースとか聞いてると、わかりやすい。感情の表出の仕方がうまくない。する機会がなかったから。

 


自分を知られることに慣れていないから、自分を見せたくない。見せられない。どこまで見せていいものなのか、線引きを引くのが下手。

 


「弱み」なんか知られてしまった日には、どうしたらいいかわからなくなってしまうのだ。

 


大学生活をしていたり、生きていると切に思うようになった。気づき、というやつだ。

 


信頼している大人はいる。たくさんの話をした。だが、私自身が「弱み」を見せるのを極端に嫌うのだ。大人相手にさえ。

 


信頼している大人に、自分の性格を言い当てられたり、叱られたりすると、必要以上に凹むのは、その指摘の内容や自分への不甲斐なさ、そしてそれ以上に圧倒的に、怖い。気持ち悪くなる。

 


なんでこの人は私のことを知ってるんだ、という感覚。ゾワゾワして、どうしよもなく逃げたくなる。

 


他人からの「あなたって〜でしょ?」という指摘は今までの人生で当たっていたことがほとんどない。まあ、自分で自覚している範囲で、なので本当はあっていたりもするのかもしれないが。それほど私は人に自分の柔らかいところを見せるのを極端に怖く思っている。

 


いいところを言われるなら、屁でもない。隠していないからだ。「メンタルが強い」とか。多分強い。

 


この間、自分のよくない癖を言われた。自覚していた。知っていた。だが、そのことについて相談したことはない。とは言っても普段の私の行動から、口癖から、わかることだ。でも、どうしようもなくなった。逃げ場がないように感じ、自分のことを話して、関わるのが怖くなった。知られたくない。連絡を取りたくなくなった。いつもならすぐに電話して話していたこともできなくなってこうしてブログを書いている。

 


人に、知られたくない。自分の弱さを。よくない、癖を。自分の中だけで反省していたい。慣れていない。

 


だがそれが正解だとは思えない。下手くそでも、感情を表出しなくては、うまくなどならない。どうしようもなく逃げたくなっても、それでは一生独りだ。これは精神的に。

 


独りは楽だ。だけど、自分を客観的に100%いつでも見て、生きていることはできるだろうか。自分からの愛や称賛だけでは限界がないだろうか。

 


様々な人と関わって自分の新たな面を知ることはないのだろうか。自分の知っている自分が全てだろうか。

 


違う。だから、憧れてしかたなかった従姉妹から絵を褒めてもらったときのコメントを後生大事にブックマークしているのだろう。中学の厳しかった鬼顧問からの称賛を今でも忘れられずにいるのだろう。

 


人を知り、関わり、自分を知ってもらうことを、恐れないで欲しい。悪いことではない。信頼をしよう。

 

私ならそれができるようになる。大丈夫。私は私をよく知っている。